昨日、自分が死んだ時のことを考える、という投稿をしました。
この考え方は、
宗教をかじった人から見れば
それほど珍しい考え方ではないと思いますが、
これを仏教的に解釈すると十二因縁で説明できると思います。
詳しい十二因縁の説明はとりあえずこちらをご参照ください。
十二因縁-Wiki
どういうことかというと、
人生を輪廻の中で、
過去、現在、未来を分けて原因結果を見ていくということです。
過去世の因として、
無明、
行、
があり、
現在の果、また未来の因として、
識、
名色、
六処、
触、
受、
愛、
取、
有、
がある。
そして未来の果として、
生、
老、死、
があるのです。
つまり、
迷いがあるから私たちは何度も産まれ変わってくる、
逆にいえば迷い、カルマをはらすことが人生の目標となってきます。
解脱してすべての輪廻から離れようというのが伝統的な考え方ですが、
逆にいえば輪廻しながら少しずつ魂を向上させている、
魂を磨いているのが私たちの人生だということになります。
人生は何回生まれ変わったても、
味わいつくせない深みがあります。
そうした学びや気づきを繰り返しているのが私たちということです。
だから死んだ後のことを考えて、
今世はこのくらい学べたな、成長できたな、
来世はもうちょっとこの部分を頑張ろうとなるのです。
そう考えると、
輪廻というのは苦であると同時に、
いつかは私たちが悟ることを前提につくられた、
とってもありがたいシステムだと思います。
ありがたや〜。
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