家に向かう道すがら、僧侶は自らの名を蓮生と名乗りました。
「わしの師は都でも名の知られた高僧でな、法然房源空上人と申すのだ。知っておるかな?」
「・・いや、申し訳ないが」
「そうか。では念仏はご存じか?」
「はい、南無阿弥陀仏と唱えるものですよね」
「うむ。法然上人はな、その念仏のみで、あらゆる者が等しく救われ、極楽に往生できると説いておられるのだ。そなたの母御前の墓前でも、念仏だけを唱えようと思うが、良いかな?」
行正は黙って頷きました。
墓参りを終えると、二人は家に入り、行正は玄米をふかしたものや野菜の煮物などで、蓮生をもてなしました。
「蓮生殿、せっかくですから、何かありがたい話をしてくれませんか。恥ずかしながら、私は仏の道なるものをよく存じない。死後の安寧を祈るのはともかく、争いと苦しみの絶えぬこの世に、いったいどんな救いがあるというのでしょうか・・」
「そうだな・・。ときに行正殿、そなたには恨みに思う相手がおるのかな?」
突然そう言われ、行正はぎょっとして蓮生を見つめました。その顔を見て、蓮生はにやりと笑います。
「なぁに、そなたの目を見ればわかる。源平の合戦、鎌倉での権力争い・・、これまで嫌というほど見てきたものと同じだからな」
「そういえば蓮生殿は武家の出身でしたな。どちらにお住まいで、俗名は何とおっしゃるのですか?」
蓮生はすっと背筋を伸ばし、行正に向き合いました。
「某は桓武平氏の血を引く熊谷(くまがい)直貞(なおさだ)が一子にして、武蔵国熊谷郷の領主、そして源頼朝公の御家人でもある、熊谷次郎直実(なおざね)と申す。今は出家の身ゆえ、俗事から身を引き、故郷に寺を建ててそこで暮らしておる。
「御家人!? つまり先の合戦では・・」
「おう、源氏方として参戦した。一の谷の戦いでは義経公に続いて崖を下り、平家の陣に一番乗りを果たしたこともあるぞ」
「平家の陣に・・」
「その折に、平家の若武者を討ち取っておる。あれはまさに一世一代の誉れであった。ただ、倅と変わらぬ年頃の若者を殺めるというのは・・」
行正はその先を聞くよりも前に、思わず横に置いてあった刀を手に取り、斬りかからんとする体勢をとっていました。
『この人は出家している。それは過去の償いをするためではないのか?』
そう思い、何とか刀を抜く寸前で思いとどまったものの、手の震えは抑えきれません。鋼の刃が鞘の中で、カタカタと音を立てました。
『いや・・償いが何だというのだ! 父や一族の無念は、こやつが坊主になったくらいで償えるはずがない。しかも平家の名のある若者が、命を取られているというではないか。平家を凋落させた責任の一端は、この男にもある!』
射殺さんばかりに睨みつけてくる行正を、蓮生は動じることなく黙って見つめています。行正は一言一言かみしめるように、低い声で語りかけました。
「・・実は私は、あの時の戦で父を失い、落ち逃げた平家の者。あなたが父を殺したとは限らぬが、私は憎き源氏方の首を父の墓前に供えようと、幼き頃より固く誓ってきた。今こそ千載一遇の機会。ここで、汝が命もらい受ける。最後に申し残すことはないか!?」
「そうか…」
蓮生は静かに合掌したまま、目を閉じました。
「人の命には天の定めがある。今日ここで首を斬られることが、御仏の導きならば、わしはそれに従おう」
「何だと!? くそっ、それでは恨むなよ」
「恨みはせぬ。わしは法然上人に帰依したあの時から、恨みの心を捨てた・・。この命によって、そなたの心が少しでも晴れるならば、遠慮なく斬るがよい」
死を前にしながら微動だにしない蓮生の姿と、「恨みを捨てた」という彼の言葉に、行正は思わず動揺し、刀を抜くことができませんでした。
「・・なぜだ。なぜ、そんな、簡単に、恨みを捨てるなどと・・」
行正はついに柄から手を離し、唇をかむと刀を脇に置きました。そして、覚悟を決めてドスンと床に座り直しました。
「・・蓮生殿。ひとつ私に聞かせていただきたい。あなたの先ほどの言葉は、そしてその不動の心境は、いかなる理由によるものなのか」
蓮生は静かに合掌を解き、行正と視線を合わせました。
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