生きる 〜千種丸の物語〜③

家に向かう道すがら、僧侶は自らの名を蓮生れんしょうと名乗りました。

「わしの師は都でも名の知られた高僧でな、ほう然房源ねんぼうげんくう上人しょうにんと申すのだ。知っておるかな?」

「・・いや、申し訳ないが」

「そうか。では念仏はご存じか?」

「はい、南無阿弥陀仏と唱えるものですよね」

「うむ。法然上人はな、その念仏のみで、あらゆる者が等しく救われ、極楽に往生できると説いておられるのだ。そなたの母御前の墓前でも、念仏だけを唱えようと思うが、良いかな?」

行正は黙って頷きました。

墓参りを終えると、二人は家に入り、行正は玄米をふかしたものや野菜の煮物などで、蓮生をもてなしました。

「蓮生殿、せっかくですから、何かありがたい話をしてくれませんか。恥ずかしながら、私は仏の道なるものをよく存じない。死後の安寧を祈るのはともかく、争いと苦しみの絶えぬこの世に、いったいどんなすくいがあるというのでしょうか・・」

「そうだな・・。ときに行正殿、そなたには恨みに思う相手がおるのかな?」

突然そう言われ、行正はぎょっとして蓮生を見つめました。その顔を見て、蓮生はにやりと笑います。

「なぁに、そなたの目を見ればわかる。源平の合戦、鎌倉での権力争い・・、これまで嫌というほど見てきたものと同じだからな」

「そういえば蓮生殿は武家の出身でしたな。どちらにお住まいで、俗名ぞくみょうは何とおっしゃるのですか?」

蓮生はすっと背筋を伸ばし、行正に向き合いました。

「某は桓武平氏の血を引く熊谷(くまがい)直貞(なおさだ)が一子にして、武蔵国熊谷郷の領主、そして源頼朝公の御家人でもある、熊谷次郎直実(なおざね)と申す。今は出家の身ゆえ、俗事から身を引き、故郷に寺を建ててそこで暮らしておる。

「御家人!? つまり先の合戦では・・」

「おう、源氏方として参戦した。一の谷の戦いでは義経公に続いて崖を下り、平家の陣に一番乗りを果たしたこともあるぞ」

「平家の陣に・・」

「その折に、平家の若武者を討ち取っておる。あれはまさに一世一代のほまれであった。ただ、せがれと変わらぬ年頃の若者をあやめるというのは・・」

 行正はその先を聞くよりも前に、思わず横に置いてあった刀を手に取り、斬りかからんとする体勢をとっていました。

『この人は出家している。それは過去の償いをするためではないのか?』

そう思い、何とか刀を抜く寸前で思いとどまったものの、手の震えは抑えきれません。鋼の刃が鞘の中で、カタカタと音を立てました。

『いや・・償いが何だというのだ! 父や一族の無念は、こやつが坊主になったくらいで償えるはずがない。しかも平家の名のある若者が、命を取られているというではないか。平家を凋落させた責任の一端は、この男にもある!』

射殺さんばかりに睨みつけてくる行正を、蓮生は動じることなく黙って見つめています。行正は一言一言かみしめるように、低い声で語りかけました。

「・・実は私は、あの時の戦で父を失い、落ち逃げた平家の者。あなたが父を殺したとは限らぬが、私は憎き源氏方の首を父の墓前に供えようと、幼き頃より固く誓ってきた。今こそ千載一遇の機会。ここで、汝が命もらい受ける。最後に申し残すことはないか!?」

「そうか…」

蓮生は静かに合掌したまま、目を閉じました。

「人の命には天の定めがある。今日ここで首を斬られることが、御仏みほとけの導きならば、わしはそれに従おう」

「何だと!? くそっ、それでは恨むなよ」

「恨みはせぬ。わしは法然上人に帰依したあの時から、恨みの心を捨てた・・。この命によって、そなたの心が少しでも晴れるならば、遠慮なく斬るがよい」

死を前にしながら微動だにしない蓮生の姿と、「恨みを捨てた」という彼の言葉に、行正は思わず動揺し、刀を抜くことができませんでした。

「・・なぜだ。なぜ、そんな、簡単に、恨みを捨てるなどと・・」

行正はついにつかから手を離し、唇をかむと刀を脇に置きました。そして、覚悟を決めてドスンと床に座り直しました。

「・・蓮生殿。ひとつ私に聞かせていただきたい。あなたの先ほどの言葉は、そしてその不動の心境は、いかなる理由によるものなのか」

蓮生は静かに合掌を解き、行正と視線を合わせました。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA