夜の中ばなるまで寢(いぬ)る能わず

私は竹林の七賢の阮籍に憧れている。

3世紀ごろの魏の国において、俗界の名利を求めるのをやめ、
自由に議論し、
音楽を楽しみ、
囲碁や酒を愛し、
無責任な清談に明け暮れたという竹林の七賢の代表的人物である。

私も阮籍の様に生きたいと願っている。
しかし、現実の私の人生はそう生きることは許されていない。
もう全てを捨てて、
ただ狂人の如く無為自然の心で生きたいと願うことは、
もしかして現代の生き馬の目をむく様なサラリーマン達の多くが憧れる、
老荘的な生き方なのかも知れない。

否。

阮籍の本心はただ権力争いから離れて心自由に生きるだけではない。
深く深く国を思うその心は、
それほど安らかではなかったのかも知れない。
三国志の時代より少し後、
すでに天地を轟かす程の活躍を見せた英雄達は鬼界に入り、
ただただ権謀術数だけで国の中枢が占められ、
裏切りや外の敵に怯えるしかない国を見た時に、
阮籍の嘆きは純真であればあるほど深いものとなる。

試みに永懐詩を誦んで見れば、
己の無力感に悩み続ける愛国者阮籍の姿が浮かび上がってくる。
日本の中国文学者として最も高名な吉川幸次郎博士をもってして、
数多い中国の詩のうちで、最も調子の高いのは阮籍の永懐詩であると言わしめた
その詩を読む時に深く心を打つものがあるのである・・・。

夜中寢(いぬ)る能わず
起き坐して鳴琴を弾ず
薄き帷(とばり)に明月の鑑(て)り
清風は我が襟(えり)を吹く
孤鴻は外野に号(さけ)び
朔(きた)の鳥は北の林に鳴く
徘徊して将(は)たとして何をか見る
憂思して独り心を傷(いた)ましむ


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