私は剣道をずっと続けてきたのですが、
たまに「五段止まり」とか「六段止まり」という言葉を聞きました。
五段まではトントンと進んでも、
六段になると急に進めなくなる。
六段までは必死の努力と工夫でなんとかなるが、
七段には誰でもなれるわけではないという、
そんな意味での言葉です。

誰でもこれ以上成長できないという壁を感じたことはあると思います。
出世や成長も自分のキャパシティの限界という一点がある。
昔、竹村健一が「無能レベル」ということを書いていました。
ある一定までは仕事で有能でも急に無能になったと思える段階がくると。

それにちなんで私はよく阿羅漢止まりという言葉が脳裏をよぎるのです。
阿羅漢というのは小乗仏教の理想であって、
個人としての悟りを開いて、その心境をずっと維持できる者のことをいう。
阿羅漢になるのは簡単ではないが、
それでも五百羅漢という言葉の通り、
結構たくさんの羅漢さんがいらっしゃる。

でも、そこからまた菩薩といって、
これは大乗仏教の理想の姿だけども、
悟りを開いただけでなく、大衆救済の為に無心の活動する境地がある。

菩薩になるのはとっても難しい。
阿羅漢と菩薩は、
そう、例えるならシルバー聖闘士とゴールド聖闘士くらいの差がある。
そりゃもう天と地ほどの差がある。

羅漢さんと菩薩では、
お顔を見ればその心境の違いが分かる。
羅漢さんは大抵苦虫をつぶした様なお顔をしていらっしゃる。
頑固そうで、でも人生の全てを見通しているかの様な深みのあるお顔。
それが羅漢さん。

でも菩薩は違う。
菩薩はもう男だか女だかよく分からない。
中性的で、謎の静かな笑みをたたえている。
人間を超えている・・そう思わせるのが菩薩。
千手観音の様に自由自在な境地に達しておられる。

私は大乗仏教徒なのでもちろん菩薩を理想の境地とするが、
なかなか行けないんですよ、あの境地には。
羅漢さんと菩薩の間には越すに越せれぬ大井川があるのです。

けれども一人では超えられない壁でも、
師であるとか、
伴侶、家族の力がその壁を超えさせてくれる時がある。
指南の書というのもある。

そうして、超えられなかった壁を超えた時に、
何ともいえない達成感と見晴らしの良さ、
そして目の前にそそり立つさらに巨大な壁に気づくのです・・・

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