“毒矢の喩え”にマジレスしてみた①

”毒矢の喩え”という有名な話があります。

ある時、釈迦が祇園精舎に滞在していた時に、
マールカヤプッタという弟子がやってきて釈迦に問います。
「この世界は永遠にあるのか、やがて滅びるのか。」
「この世界は有限であるのか、無限であるのか。」
「霊魂と身体は同一なのか、別々なのか。」
「如来は死後も存在するのか、しないのか。」
これらの質問が解決しなければ修行に集中することはできないと言い張ります。
それに対してお釈迦様は、何も答えませんでした。
そしてこんな譬え話をします。
「ここに毒矢に射られた男がいる。
その男が自分に刺さった毒矢を抜いて治療する前に、その毒矢を射ったのは誰か、何のために毒やを射ったのか、その毒は何なのかわからなければ私は毒矢を抜かない、と言ったならば、その男は答えを出す前に死んでしまうであろう。
同じ様にそのような問題を考えるより先にすべきことがあるのだよ。」

このお話は箭喩経というお経に書かれています。
有名なお話ですが、
このお話を聞いて釈迦は考える力がなかったとか、仏教は無神論だとか、唯物論だとかいう人がいます。
学者の中にもそんなことを言う人がいるみたいで、ちょっと信じられないという気がするのですが、
仏教無霊魂説の一つの基盤ともなっている様です。

このマールキヤプッタの質問にマジレスしてみたらどうなるだろうか。
できれば仏教的解釈だけでなく、物理学的な面からもアプローチしてみたら面白いんじゃないか、そう考えて文章にしてみようと思いました。
この企画のシリーズは何回かの連載になると思います。
そして、とっても難しいと思います。
何度もそんな難しいことを、お前に書ける訳がない、という声が心の中に去来しました。
確かにそうでしょう。
でも、まず今の自分の力で、分かる範囲ででも書いた方がいいのではないかと思いました。
自分が完璧に理解するまで何もしないというのであれば、何もしないまま一生を終えてしまうことになるのでしょうから。

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