地蔵盆 八月二十四日 午後七時
梁塵秘抄(りょうじんひしょう)は、平安時代に後白河法皇が、当時の民衆に歌われた今様(いまよう、今ふうの歌という意味)を集められたものですが、その中に
「我が身は罪業重くして ついには泥犁(ないり、地獄のこと)に入りなんず。入りぬべし。佉羅陀山なる地蔵こそ毎日の暁に 必ず来たりと訪う給え」(私は罪深い身で死んだらきっと地獄に堕ちるだろう。堕ちるにきまっている。佉羅陀山にいらっしゃる地蔵様よ、毎朝尋ねて来てお救い下さい)という歌があります。
経文(仏説延命地蔵菩薩経)の「我毎日晨朝入諸地獄 令離苦無佛世界度衆生」(私は毎日朝早くから数々の瞑想に入り、あらゆる地獄に行って佛のいない地獄の苦しみを離れさせ、人々をすくいます。)という地蔵様の誓願への一般庶民の願いが歌われています。
財力も身分もある人のように功徳を積む余裕もない私達でも救ってくださる人智を越えた存在に頼りたいという人々の切なる願いです。
地蔵様はそんな人々に身近な佛様として信仰され、多くの効験の物語も生んできました。身代わり・厄除け・とげ抜き等異名地蔵も多く、願い事の多くを地蔵様に託してきました。 その僧形の親しみやすさから、子供の守り本尊としても信じあがめられ、「西院(磧・西)の川原の地蔵和讃」でも幼くして亡くなった子供が西院の川原で父母を慕い、「一つつんでは父のため 二つ積んでは母のため」と石を積むのを、地獄の鬼が崩してしまい、そこへ地蔵様が現れて「我の冥土の父母と 思うてくれ頼めよと 幼きものをみ衣の 裳裾のうちにかき入れて 憐れみ給うぞ有り難き」などと歌われています。
庶民・子供の佛様を讃え、敬虔な心で祈りを捧げ、願いがかなうよう日々努めます。