今では亡くなってすぐに讀まれるお経を枕経と言いますが、
本来は死を目前にする人を前にして
心を穏やかに旅立てるようにお経を讀むことを枕経と言いました。
臨終を前にして本人がお経を讀むこともあったようですが、
死を目前にしてお経を讀むことは難しい為、
僧侶が代わって讀んだのでしょう。
特に浄土教の僧侶が極楽往生を願って讀んだそうです。
死を迎えるということは、
本人にとってもまわりの人にとっても大きな意味があります。
死をどう迎えるかは簡単なことではありませんが、
やはり心がけたいことがいくつかあります。
まず一番大切なのは自分の死を受け入れるということ。
そんなことは難しいと思われるかも知れません。
しかし、人は必ず死ぬ以上はそれを受け入れざるえないタイミングというのが必ず来ます。
その日がいつ来るかは分かりませんが、
一日一生という言葉があるように、
いつ死んでもよいという気構えで生きることが大切です。
少なくとも何も考えず凡々として生きるよりも後悔は少ないはずです。
そして、
できれば生きている間に自分の一生を振り返り、
良かったことは喜び、悪かったことは反省して、罪は心から詫びることです。
これは必ずしも法律的に罪を償ったり、悪いことをした相手本人に詫びることは必要ありません。
もちろんそれができれば一番ですが、
死を迎える前にはもうそれもできないことが多いでしょうから、
まずは心の中で相手や神仏に反省と詫びを入れることです。
これはものすごく大切で、
キリスト教圏でも亡くなる前などに懺悔をする話を聞いたことがあります。
そしてまわりの人には感謝の言葉を述べて、
心穏やかに過ごすことです。
死を前にしてそういう心境になれる人も確かにいるのです。
中世ヨーロッパでも往生術などでも流行ったと言われていますが、
死を迎える技術というのをもっと日本人は知るべきかも知れません。
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