数年後、千種丸は元服の時期を迎えていました。
一族再興のためには、いつまでも身を隠しているわけにもいきません。つてを頼り、伊勢に拠点を置く平氏の有力者に烏帽子親(えぼしおや)となってもらうことになりました。
「元服すれば千種丸様も一人前の武士。これで初陣(ういじん)を飾り、武功を立てていけば、悲願の成就もまもなくですな」
供の者たちの張り切りように、千種丸の心も浮き立ちます。
しかしその夜、千種丸に向かって、母はそっと微笑んで言いました。
「お前が立派に成長したこと、母も嬉しく思っています。でも千種丸や、いかに武家のならいとは言え、命を取り合うような過酷な戦場に、愛しい我が子を送りたいと願う母親はいないのですよ」
「母上は父上の敵を取りたいとは思わないのですか? 今日まで苦しい思いをしてきたのは、源氏のせいではありませんか」
「そうです。でもね、お前の顔が時々憎しみで歪むのを見るのが、母にはとても辛いのです・・」
千種丸は戸惑わずにはいられませんでした。
『母上は女人(にょにん)だから、あのような軟弱なことを言われたのだろう。だが武家の男児として生まれた以上、一族を貶(おとし)め土地を奪った相手を許すべきではない!』
千種丸は元服の儀を終え、住んでいる地名にちなみ、刈谷行正(ゆきまさ)と名を改めました。
行正は剣の腕に優れ、烏帽子親からも一目置かれるようになりました。
しかし、毎夜寝る前に父の無念と敵への恨みを心に刻み続けた結果、行正の目つきは狼のごとく鋭く、人を容易に寄せ付けない暗さをのぞかせるようになっていました。
決起の時に向けて刃(やいば)を研ぎ続けること、さらに数年。
行正は十八の春を迎えようとしていました。
「今日は母上の命日だ。久しぶりに市(いち)まで足を伸ばして、酒やうまいものでも少し仕入れてこようか・・」
行正の母は、元服の翌年に亡くなっています。最期まで我が子の先行きを案じていたその姿を思い出し、行正の視界がわずかに涙で歪みました。
『早く両親の墓前に敵の首を供え、親の恩に報いたいものだ・・』
そう思いながら家を出て、街道へ出るための田舎道を歩いていると、向こうから笠を被った男が一人、こちらへ歩いてくるのが見えました。
武士や農民の服とは違う、その独特な墨衣(すみごろも)に、行正は見覚えがありました。
「はて、こんなところに仏僧とは珍しい」
行正の家の近くには、寺も庵(いおり)もありません。この時代、寺院を建てられるのは、ごく一部の上流階級の人々ばかりでした。
行正は街道で、神宮や熊野へ巡礼に訪れる僧侶たちの姿をちらりと目にしてはいましたが、彼らとゆっくり話をしたことはありませんでした。
「御坊(ごぼう)よ、ここを進んでも、人などほとんどいない雑木林が続くばかりですぞ。道にでも迷いなさったのか」
そう声をかけると、僧侶が立ち止まり、笠をわずかに上げて行正を見つめます。
一瞬ギラリと光ったその瞳に射貫かれ、行正は思わず冷や汗をかきました。
相手は老齢のようですが、がっしりとした体つきで、僧でありながらどこか自分と同じ野武士を連想させました。
「わしは寺を建立するための寄付金をつのる、勧進(かんじん)の旅に出ておる。足の赴くままに歩いてきたら、こんななところまで来てしまったようだ。ところで、その出で立ち、そなた武士であろう。ふむ・・これも何かの縁かもしれんな」
「縁とは?」
「わしも以前はそなたと同じ武士だったのだ。頭を丸めたのは、十年近く前のことだ」
晩年の平清盛のように、武士であっても出家することは珍しいことではありません。とはいえ、上流階級の人々にとって、出家はしばしば形だけになりがちです。
元武士で実際に僧侶として活動している人物に巡り会うのは稀なこと。
行正はふと、この僧の話を聞いてみたいという気持ちに駆られました。
「この先に私の家があります。粗末なつくりで、たいした食事も出せないが、もしよければ立ち寄ってくださらないか。今日は母の命日なのです。墓前で経を読んでいただけたら、母も喜びましょう」
行正は市に行くのを諦め、代わりに僧を自宅に招きました。
「それはありがたい。南無阿弥陀仏」
僧は数珠のかかった左手を上げ、行正を拝みました。
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