仏教では執着から離れることが説かれる。
それは別に、
一生のうちで一度も女性に触らないとか、
ずっと木の実だけを食べ続けて、
ボロ切れの布一枚をまとって生きていくということでは無い。
むしろ、
そんな極端な環境での修行をして、
自分を聖者だと誇っているのならば、
それは執着しているのと変わらないことになる。
良寛さんも「味噌の味噌臭いは上味噌にあらず」と言っている。
誠にその通りだと思う。
厳しい修行をして聖者のはずなのに、
どうにもプンと嫌な匂いがするのなら何の修行をしたのか意味はない。
執着から離れるということは、
当たり前の日常の中で、
小さな自分を捨てて、
大きな我と常に共にあること。
執着から離れるということは、
何ものもつかまないということだと思う。
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