こころの悩みに関する話を続けていきたいと思いますが、
どうしても中道ということをお伝えしなければなりません。
この中道はとても大切です。
私自身は子供の頃から、
精神的にブレが多くてテンションがすごく高かったり、
逆に低かったりしました。
今思えば双極性障害だったのではないかと思います。
双極性障害とは気分障害の一つで、
気分の高ぶる躁状態と、逆に気分の沈む鬱状態を繰り返すことです。
実際に病院に行ったことはないですし、
心の問題は一言で言えるほど単純ではありませんが、
まぁ、そんな感じでした。
いろいろ大変だったのですが、
おかげで心のブログを書くこともできるので今となってはありがたいです。
あまり自分の心の葛藤や問題とかを公開することは、
恥ずかしいことですし、辛いことでもあります。
特にこのブログは結構知っている人が見てるので、
あの人そうなんだとか思われると辛い。
しかし少しでも誰か他の人の参考になるなら、
それも意味あることだと思います。
それで、
とっても大切なことなんですが、
躁鬱繰り返している人ってだんだん本当の自分が分からなくなってくるんです。
おそらく本人としては躁状態の時はとても調子がよく感じるので、
躁であり続けたいと思うことが多いと思います。
そりゃもうギャグもバンバンでるし、
自分は天才かも‼︎みたいな感じになるんです。
でもねぇ、
そこに本当の幸せはないんです。
躁でも鬱でも、
どちらの極端にも道はない。
躁状態というのも一つのエゴの凝り固まった状態だったと私自身を振り返って思います。
強すぎる自己愛がそこにありました。
目立ちたい、愛されたい、特別な人でありたい、
そういう気持ちが他の人を無視するところまで強く燃えていました。
そこに気がつくのは時間がかかりましたが、
仏教の教えである”中道”という教えに出会ったことで気づくことができたのです。
お釈迦様は王子としてお生まれになり、
お城で贅沢三昧の暮らしをしていましたが、
これでは悟れないと思い出家しました。
そして命がけの苦行を行いましたが、
それでも悟ることはできませんでした。
お釈迦様はやがて苦行からも離れて、
菩提樹の下で座を組みながら心の一つひとつを振り返り、
両極端を去った中道が大切だと悟ったと言われています。
中道は楽器の弦に例えられます。
弦の音は強く締めれば系が切れてしまう。
弱く締めても良い音はしない。
弦の音は中程に締めた時に素晴らしい音色を奏でます。
中道が大切だと知ったからといって、
それで急に中道に入れるかといえばそうではありません。
自分の心の過程を一つひとつ振り返り、
自分のどこが間違いだったのか、
どう生きれば良かったのか、
それを振り返り反省して、
心の歪みを自分自身で修正していかなければなりません。
ですので簡単ではありませんが、
まずは中道にこそ真理があると知ること、
そこから始まっていきます。
この記事へのコメントはありません。