前回は仏性の話を書きました。
だれもが素晴らしい、なぜならだれもが仏性を持っているからです。
しかし仏性論は結構難しく、
鎌倉時代、もしくはそれ以前からたくさんの議論がありました。
私は割とシンプルに仏性を捉えているので、
すべての人の心に仏と同じものがある、
またはいずれ仏となる種をもっているという感じで捉えています。
仏教はブッダになることを最終ゴールとしています。
ブッダとはかつてインドに生まれたゴータマ・シッダルータ王子のことではありません。
悟りを開いた人のことをブッダと呼ぶのです。
そしてブッダとなる為に厳しい修行をします。
そりゃもう厳しい、
普通の人では耐えられないような修行をずっとずっと続けるのです。
そう聞くと、
あぁ、自分は悟りを開くことはできない、無理だと感じる人も多いと思います。
今世はもちろん転生輪廻を繰り返し、
何億年、生まれて死んでを何度も繰り返しても、
私は悟りは開けないだろうなぁ、
そんなもんだろ・・・と思われる方が大半でしょう。
けれども大丈夫、
あなたもやがてブッダとなります。
はい、強制的です。
なぜならブッダとならなければ人は永遠に転生輪廻を繰り返していくことになるからです。
転生輪廻とは生まれ、老いて、病気になり、そして死んでいく、
そのサイクルを何度も何度も繰り返していくことを、
牛車の様な輪がくるくる回っていくことに例えたものです。
ブッダとなるまでこのサイクルはひたすら繰り返されます。
それをもって人生を苦しみと呼んでもよいでしょう。
でも、ここで考えて欲しいのです。
ブッダになるまで永遠に転生輪廻を繰り返すなら、
いつかは誰もがブッダになるはずです。
だってブッダになるまでこの輪廻から逃れることはできないのですから。
ここで観の転換をして欲しいのです。
伝統的には転生輪廻は永遠の懲役、負担、苦しみと捉えることでした。
でも逆に考えれば、
ブッダになるまで魂は消滅しないで永遠の時間が与えられている‼︎
なんてハッピーなんだ、とも思えないでしょうか?
こんな悟りシステムを考えられた神様は本当にお優しくて、
すべての人を平等に愛してくれているんだと思います。
だって悟りに近い生き方をした人だけは再度生まれ変わらせて、
仏教に縁のなかった人、悪いことばかりした人はもう死んだら消滅させちゃえば良い。
そっちの方が効率が良いと思えないでしょうか。
それなのにどんな悪人でも魂は永遠です。
例え地獄に落ちたとしても、いつかまた再び生まれ変わってきます。
「今世は失敗した人生だったなぁ、いろいろ人を傷つけちゃったし。
よし、来世は頑張って人のお役にたってくるぞ‼︎」
という人生のやり直しができるすごいシステムが転生輪廻なんです。
だから、あなたもいつか必ずブッダとなります。
それが保証されているのです。
そんな永遠の時間を繰り返す転生輪廻ですが、
あまり苦しいものだと悲嘆することはありません。
仏教が輪廻を”苦しみ”と捉えるのは、
そうでも考えないと誰もが真剣に修行してブッダになろうとしないからです。
人生は確かに苦しみかも知れないけど、
きっと幸せな瞬間もあっただろうと思うし、
苦しみがあるからこそ味わい深いのが人生でもあります。
輪廻については以前も書いたことがあります。
こちらを参考にして頂ければと思います。
輪廻は苦しみか?
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