仏教の教えの中で四苦と呼ばれる生老病死を欠くことができない。
これは釈迦が幼少期に、
4つの門の前で、
産まれた子供、
老人、
病人、
死人、
この4つの人にそれぞれ出会い、
そこから人生に対して疑問をもったという話から来ている。
伝承によっては最後にバラモンに会って出家に惹かれることになるとしているものもある。
ここでその伝承について詳しく書くことはしません。
今日は生について考えたいと思います。
なぜ生が苦しみなのでしょうか。
普通は生、生まれることは喜びです。
お母さんがどれだけワクワクして出産に立ち会うかを考えれば、とても苦であるとはいえません。
あえて言えば苦しみの始まりが生であるといえます。
産まれなければ苦しみも悲しみもなかった。
生からその後の老病死は生から始まるといえます。
少し根暗な発想に思えます。
もう少し専門的に仏教的な生とは何かを考えると、
私達は迷いのサイクルの中で輪廻転生を繰り返しているとされ、産まれてくるということは迷っているということになります。
つまり生=迷いとなるのですが、
言い換えれば生=勉強中となります。
私達は生きることで迷い苦しみますが、
だからこそ魂の学びになるといえます。
そして解脱つまり煩悩による全ての縛りから解き放たれることを仏教では理想、目的としています。
この解脱のイメージがなかなか難しいのですが、
これを自我の消滅と取るのも根強い仏教解釈の中にあります。
自己が消滅してしまうなら解脱なんかせんでもいいと考える人も多いと思います。
むしろ肉体や世俗的な縛りから解き放たれて、自由な境地を手に入れることと取る方が自然に思えますし、私はそう理解しています。
生老病死 生について
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