空と救済というテーマで前にブログ記事を書きましたが、
それには前提となる知識がないと理解は難しいと思います。
そこで大雑把で申し訳ないのですが、まず菩薩と阿羅漢について説明させて頂きます。
お釈迦さまがインドで法を説かれた時に、
理想の境地として修行者の目標となったのが阿羅漢(アラカン、もしくはアラハン)という境地です。
悟りを得て自分自身を救いえている境地です。
仏教の修行者はこの阿羅漢を理想をしてず〜っと修行して、
サンガという組織の中でひたすら修行しているのです。
側から見るとすごくストイックです。
そして尊敬される人格を身につけています。
ところが仏教の修行者はこの阿羅漢になりたいあまりに、
あまり他の人のことまで気がまわらない人が続出しました。
自分のことに一生懸命なんです。
しかし、そういった仏教の修行者たちに不満をもった人が出てきます。
お釈迦様の真意はそこだったの?
迷える人々を救うことが大切だったんじゃないの?
そういった不満をもった人たちは阿羅漢ではなく、
菩薩という境地を理想としました。
愛と慈悲にあふれ人々を救う為に身を削って活動するのが菩薩です。
そういった活動する人々は
修行にあけくれている阿羅漢を小さな乗り物として小乗仏教と呼び、
そうではなく自分達は大きな乗り物でたくさんの人々を救っていくんだと、
大乗仏教と自称しました。
その大乗仏教の精神的な核となる教えが”空”の教えなんです。
空とはすべてのものは因縁によって生じたものだから全ての実体というのは無いという教えです。
でも”空”という教えを単なるからっぽという意味で解釈すると、
虚無主義と変わらなくなり世をすさんで終わりです。
多くの人々を救っていこうという激しい情熱に裏打ちされた大乗仏教運動になるには、
空思想そのものに爆発的な愛の思いが入っていないと、
これだけの運動のエネルギー源にはならないはずなんですね。
そこの辺りを追求していきたいと思っています。
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