“毒矢の喩え”にマジレスしてみた②

「この世界は永遠にあるのか、やがて滅びるのか。」
「この世界は有限であるのか、無限であるのか。」

まず、この世界とは何かを定義しなければなりません。
この世界というのを私たちが存在している宇宙と捉えるならば、
永遠でないだろう、と言えると思います。
宇宙そのものもやがて終わりを迎えることは予測されています。
ビックバンによって膨張を始めた宇宙ですが、
やがて膨張から収縮に転じ、つぶれるのではないかと言われています。
これは実験で確かめられるものではないので、
あくまで予想ですが初めがあれば終わりがあると考えるのが普通だと思います。

しかし、ここで新たな仮説が現れます。
それが「超ひも理論」から導き出される「ブレーンワールド仮説」です。
この仮説では、私たちが認識している宇宙は、
「バルク」と呼ばれる、もっと高次元の時空に浮かんでいる膜のようなもの、
だと考えます。ここでいう高次元の時空とはどういう意味でしょうか。
この世界は縦・横・高さの3次元空間と、
時間という1次元を合わせた4次元空間だと考えます。
ところが最近の研究ではこの世界はもっと高次な次元の中に存在していると考えられています。
10~11次元の時空が予想されています。
そして、この膜のような宇宙は一つとは限らないそうです。
その膜宇宙は引き寄せあって衝突し、またビックバンをおこします。
つまり膜宇宙は終焉と再生を繰り返しているというのです。
現在の宇宙はすでに50回以上の再生を繰り返しているともいいます。
宇宙が何度も生々流転を繰り返しているとしたら、
この世界は永遠であると言ってもさしつかえがないでしょう。
しかも四次元以上の次元論が出てくると時間そのものを超越しています。
もうこれは宇宙は無限であると言っても良いのはないでしょうか。

・・・とここまで書きましたが、
あくまで予測の範囲での話で、
「超ひも理論」じたいが未完成の理論なのだそうです。
私のもっている資料は結構古いので(^^;)
現在ではもっと研究が進んでいると思います。

でも、宇宙がなんども生々流転するというのは好きだなぁと思います。
宇宙も生まれ変わりを繰り返している、
生まれ、成長し、歳をとって最後は死んでいくという、
宇宙も人間もすべて同じなのだという見方です。

さて、物理学的な宇宙論から世界の永遠について考えてみましたが、
それでは仏教的にはどうなのでしょうか。
仏教と永遠について、次回で考えてみたいと思います。

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