故人を供養する為の法事は一周忌、三回忌と続いていきます。
一般的には三十三回忌まで供養することが多いと思います。
こういった法事・法要を追善供養といいます。
追善供養とは善を追うと書きますが、
故人の為に善行を振り向けることです。
亡くなった方は、生前の徳、つまり善行により行く場所が決まります。
すでに肉体のない故人にかわって善いことを行って、
その功徳を故人に振り向けることが追善供養です。
お経には大変な功徳があると言われていますので、
その功徳を振り向けてあげるのです。
大切な人を亡くした時、
もっと良くしてあげていれば・・という後悔は誰でもあると思います。
私自身の経験としても、
いろいろ故人の為にしてあげたいと思うのですが、
もう相手には肉体が無く、何もしてあげられないという気持ちが募りました。
その時にお経を読んであげることで、
少しでも故人の為になればと思います。
法事・法要でお経を読んでいると、
「あぁ、なんだかお爺ちゃんが側に来てくれた。」
「母が微笑んでくれてる気がする。」
という話をご家族の方から聞くことがあります。
こういう言葉を頂くとまったく坊さん冥利につきます。
お経というのはやはり何か霊妙な力があるのではないかと感じます。
でも、同時にこうお伝えします。
「お経を皆様、一緒に読んでくださったことは大変な功徳があると思います。
でも、もっと功徳があることがあります。
それは、皆さんが明るく正しい生活をして、前を向いて生きることです。
そして故人を安心させてあげてください。
それが本当に功徳があることなんですよ。」
とお伝えします。
また、法事というのはその時々により意味が変わってくると感じています。
最初はただただ故人の為にできることとして。
そして自分自身の悲しみを癒す為でもあると思います。
それがだんだん、故人やご先祖様に守られているという気持ちになり、
深い感謝の気持ちをお伝えする場にもなります。
また、普段は離れてしまったご家族やご親戚が集まる時でもあり、
小さな孫などを見ていると命の繋がりということを実感することもあると思います。
そして自分自身の死を深く考える切っ掛けにもなると思います。
故人の死を受け入れられない方、
特に若くして愛する人を亡くされた方の中には、
法事すら受け入れられないという気持ちになることもあると思います。
故人が死んでもういないということを、再認識させられる様に感じるのですね。
でも、現実をまず受け止めるということ。
そこから一歩が始まることを知って頂きたいと思います。
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