今日は弘法縁日です。
法蔵寺は臨済宗のお寺ですが、
なぜか弘法大師の像があり縁日にはお参りの方がいらっしゃるのです。
これが長年謎でした。
弘法信仰そのものは全国にあり、
別に宗派をまたいで信仰されていても不思議ではないのですが、
かならず何かいわれがあったはずです。
そのことは記録にも残っていないですし、
村の長老にお聞きしてもよく判らなかったのです。
謎だ・・・。
もしかして、
遠い昔、この法蔵寺がある土地にも弘法大師がいらっしゃって、
額の汗をぬぐって休まれたかもしれない。
または、この土地で雨乞いの祈祷をされたかも知れない。
(昨日、電話で話していた友人のお寺はそういう伝説が残っているとのこと)
そんな悠久のロマンに思いを馳せていたのですが、
ひょんなことからその謎が解けたのです!!
それは、弘法大師像を布巾で洗っていた時に気付いたのですが、
椅子の下に筆で文字が書かれていたのです。
それによると昔の農家さんは牛講として、
皆んなでちょっとずつお金を出し合って牛を順次購入していたそうです。
牛は弘法大師の使いですので、
講の信用としてお寺に弘法大師像をおいて拝んだとのことです。
は〜、なるほど。
それで納得しました。
そういった歴史の中で、信仰が今も脈々と受け継がれていたのですね。
弘法大師が入寂されたのは3月21日。
毎月21日に行われる縁日は、この日に参詣すると大きな功徳があると言われています。
ありがたや、ありがたや。
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
長年の謎が解けてみると
貧しかったであろう人々を争いから守る
弘法大師様
これも畏怖の念が村人の平安を
維持したということでしょうか
お寺は地域のひとびとの生活の中心
だったのですね
コメントありがとうございます。お金というのは信頼・信用で成り立っていると思います。
銀行などでも信頼が一番大切だと思います。その意味で、弘法大師やお寺などは信頼されていたのだと思います。昔は今よりもお寺って生活の中で重要だったのでしょうね。