太上(たじょう)隠者という世捨て人が作った「人に答える」という詩の中の言葉です。
偶(たま)たま松樹(しょうじゅ)の下(もと)に来たり
枕を高くして石頭(せきとう)に眠る
山中暦日(さんちゅうれきじつ)無し
寒(かん)尽くるも年を知らず
隠者の生活をしていれば年が明けようが正月が終わろうが関係ないことは想像できます。
禅語としてのこの言葉は無に徹し切った境地であり、
日々の忙しさの中にあって心は悠々自適で
余裕があるゆったりとした境地をいうようです。
忙しくなると気持ちがあせったり、
過ぎた時間を悔やんだりしてしまいますが、
そんな時はこの言葉を思いだしたいものです。
生きるということは
他とのかかわりがついてまわります
そしてそこから生じる
種々の思い
どちらかというと心癒すものより
こころを乱すものが多い
無となり
本来の 自分と向き合う
自然との一体感
そんな境地なのでしょうか
自然との一体感の境地になれば、
相対的な世界の中で絶対的価値観に立脚できるのかも知れません。
毎日時間に追われている身としては体験してみたい境地です!!