法句経としても知られる仏教の初期経典ダンマパダにある言葉です。
あの人は私を馬鹿にした、
あの人は私を害した、
あの人は私を不利益にさせた、
あの人は私から物を奪った・・・
実際その通りであることも多いと思います。
相手を責める事は正当な権利であるでしょう。
しかし、その延長にあるのは果てしない怨みの連鎖です。
世界の戦争を見れば分かります。
報復合戦を繰り返し、終わるという事はありません。
その時に怨み心をすててこそ、
怨みというのは止むのです。
これは永遠の真理であると、ブッダも断言されています。
現代こそ深く心に刻むべき言葉なのかも知れません。
種々の恨みに
こころを占領されるのが
人の世
それを受け止めてくれるのが
宗教という救い主 神よりの使者
しかし受け止めきれなかった歴史
今 人の世の苦しみは
自らの成長のシグナル チャンス
地上の役割はそこにある
と天は伝えてくれているのに
気づけない 人類
どこに行き着くのか
でも気づいた方々も
増えつつある
その勢力が増しますように
ありがとうございます。
本当にそうですね、人々が宗教の名の下に戦争しているのですから。
このダンマパダの言葉は特に大切にしたいと私も思っております。
頭では解っているのですがね。 その女性は というか苦しんでいる時は その苦しみを認めて欲しいのです。そりゃ苦しいねって。 それは死にたくもなるよね。って 共感力です。まずあなたは悪くない。 自分を責めるなと。 表に出てくる言葉は時に汚い言葉だったり批判だったりするけど。。心の中の葛藤はそれはものすごいです。 誰も恨んでいいことないです。人を恨んで生きていたくないです。 でも憎んでしまう。 受け止める方は大変でしょうが。。笑 まーなかなか心の中まで理解するのは普通難しくてつい 自分の判断でアドバイスしてしまうけど。。。よけいに苦しめ追い込んでしまう時もあることだけ覚えておいてください。 誰もが幸せになりたい。人を幸せにしてあげたい。 今日もありがとう。良い一日を。 人々が笑顔でいられますように。苦しい時は苦しいといいましょう。 祈りましょう。
どらっちさん、ありがとうございます。
これが正しい、だから他は間違いなのだという考えでは、何も解決しないことがありますね。
いろいろな社会問題、例えば中絶などを批判する人も多いし、
宗教としても中絶を認めないと宣言している処は多いです。
でも、そこまでに至ったその人の悲しみ、苦しみ、また現在の心の苦しみを何も考えないでいては、
その女性を傷つけるだけで終わってしまいます。
どらっちさんのおっしゃる、共感力、その中で相手に寄り添っていく言葉でなければ人は救えないと実感しています。
受け止めるということ、寄り添うということは簡単ではないです。
私もその部分は自分の課題として学んでいかなければいけない部分だと思います。
真摯にコメントくださってありがとうございます。祈らせて頂きます。